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ゲームのゴールラインと、オンラインゲームを辞める理由
ゲームの目的は、ゴールすることだ。
オルゴデミーラを倒し、ピーチを家に連れて帰らなくてはならない。
あと一歩で世界征服を達成しようとした魔王は勇者に倒された。世界に平和が戻った。
暴虐非道の限りを尽くすカメ軍団にも負けず、マリオはピーチ姫のケーキを食べることができた。
ゲームカートリッジという一つの本を買い、プレイしながら読み進める。
進めなければ続きが読めないから、創意工夫を積み重ね技量を磨いてプレイを洗練させていく。
何日か、または何ヶ月……何年かにも及ぶプレイでプレイヤーは満足し、布団の中で自らは勇者となり妄想に励む。
多くの場合、それは容量限界でもあった。
しばらくの開発者には、容量内にゴールラインを用意することが要求された。
アンの記者会見がないローマの休日がありえないのと同じように。
しかし、プレイヤーはそこから新たなる刺激を求め次週へ挑んだ。
そのような試みは今でも続いている場合が多く、ゲームにゴールラインはないように思える。
それは間違いだ。
開発者が用意した物語のゴールラインも意に介さぬほど、ゲームとして洗練されていたのだ。
そもそもが、初期のゲームの棒がボールを弾きあうPongに物語もクソもない。
物語とは後になってゲームに付け足された着色料でしかない。
ならばゲームのゴールラインとは何か。
それはプレイをやめることである。
このゲームはもういい。そう思った瞬間がゴールラインだ。
「ここまでいけばゴールです。あと20面あります。」
何も付き合ってやる必要はない。こんな世界ほっといてやめりゃあいい。
プレイヤーとは開発者に介護される存在であってはならない。
自由意志を持ち、自らがゴールラインを決める権利がある。
フェアなルールだ。
そこでやめさせないために、開発者達は物語というエサをぶら下げ始めた。
それは露天少年が中古屋でそのゲームを売り、学校で悪評をばらまくからである。
「どうだろうな~死んじゃうかもな~どう?そうか、じゃあ続きをやってね!」
哀れ露天少年は物語の終わりを見るまでやめれなくなってしまった。
そのゲームの次週売上は守られた。
物語の終わりを見ることが露天少年は電源を切った。
今のゲーム事情は変わった。
基本プレイ無料、DLC、広告収入、ほぼ限りない容量。
プレイヤーがゲームを続けていることが、売上に繋がるシステムが構築された。
よって開発者はゴールラインをあやふやなものにした。
ゲームを練り込むための時間で、長く遊ばせるための仕組みを考えるようになった。
物語を小出しにし、コンテンツを小出しにし、期待を煽るPVを作る。
1日毎に報酬を用意し、月で契約を縛り、現金をゲーム内マネーに変換した。
サービス開始から続け一年後にやめたプレイヤーより、二年後に一ヶ月だけプレイしたプレイヤーが楽しめるコンテンツの方が多い。
払った対価はとてつもない差があるというのにだ。
アンフェアなルールだ。
それでも未だ、プレイヤーには自らがゴールラインを決める権利がある。
開発者はそれをコントロールしようとしているが、決して取り上げられることはないだろう。
そのゲームを楽しめている今は、ゴールラインを決める必要はない。
長く遊ばせるために、「いっき」のようなループを繰り返し新しいコンテンツを待つ時間が辛くなった時。
それならば、やめてしまえばいい。
ゲームの目的は、ゴールすることだ。