露天風呂

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人生のピーク。

自語り。

 

刹那主義と長期的な展望は両立しない、という決めつけがあるよね。

僕の中ではある。

桜の花は美しく咲き誇り、儚く散るからこそ美しいのだというイメージがあるよ。

桜の花は刹那的であるのか、刹那的であるだろうね。

ここで終わるのだ。それでいいのだ。

理想的な結論というものは自らのために導くもので、ちょうどハマるネジがあるならそれを使えばいいのだ。

それでは、もう少し見てみることにしようよ。

一般的に桜の名所として立ち並ぶ桜並木の樹齢は、40年程だと言われているそうだよ。

意外だね。2つの意味で意外だね。思いの外短いという印象だよ。

40年そのサイクルを繰り返し、刹那的だと言われていることにもそう。

まったく刹那ってないと思うんだよ。

花が散って終わり。それが刹那主義だよ。なんにも終わっていないんだよこいつ。

一説には、というより「ネットの一説」では60年の寿命だと言われてもいた。

60年だよ。

60年きれいな花を咲かせ続け死ぬ、それは刹那的じゃないよ。

俺が本当の刹那を教えてやる。

そう僕は刹那的に散るのだ!

 

ある種知名度のある、ジャネーの法則っていうやつじゃあね。

二十歳で人生は半分を過ぎている(超ご都合解釈)だからね。

19世紀の半分というと、フランスじゃ平均寿命が40くらいなんだ。

そりゃ過ぎとるやろってはなしなんだ。

そういう意味じゃ現代にこれを置き換えるのは無理だとしても、僕は折り返し地点をとうに過ぎたということだね。

今散ってもまったく、憧れる刹那主義でもなんでもないのだな。

醜態をさらす必要があるということだね。

まったくもってまあ、考えていた通りにはいかないものだよ。

よって生きることは素晴らしくはないが、想像している以上に自らは想像できていないということだ。